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千葉地方裁判所 昭和63年(ワ)766号 判決

原告

星野静江

ほか二名

被告

ケイヒン配送株式会社

ほか一名

主文

一  被告らは各自、原告星野静江に対し、八〇二万〇九二九円及び内七二七万〇九二九円に対する昭和六〇年六月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告星野梢、同星野英則それぞれに対し、各三九三万〇四六四円及び内三五五万五四六四円に対する昭和六〇年六月二二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その三を原告らの負担とし、その余は被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自、原告星野静江に対し、四八四七万〇九〇二円及び内四五九七万〇九〇二円に対する昭和六〇年六月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告星野梢、同星野英則それぞれに対し、各二一二三万五四五一円及び内一九九八万五四五一円に対する昭和六〇年六月二二日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故(以下「本件事故」という。)

(一) 日時 昭和六〇年六月一〇日午前一一時二〇分頃

(二) 場所 千葉市中央区蘇我町一丁目二八番地先国道一六号線路上(以下「本件事故現場」という。)

(三) 加害車両 被告原敏夫(以下「被告原」という。)運転の大型貨物自動車(以下「加害車」という。)

(四) 被害車両 亡星野幸太郎(以下「亡幸太郎」という。)運転の小型貨物自動車(以下「被害車」という。)

(五) 態様 亡幸太郎は、本件事故現場の片側二車線中、進行方向(千葉市方面から市原市方面)右側の車線で、信号待ちのため、被害車を一時停止させていたところ、被告原が、加害車を運転して、本件事故現場手前を同方向に時速約四五キロメートルで進行中、右片側二車線の右側から左側に車線変更をするに際し、左後方に気をとられ、前方注視を怠り、被害車に気付くのが遅れたため急制動したが間に合わず、加害車を被害車に追突させ、さらに、その衝撃により被害車の前に同じく信号待ちで停車していた四トントラツクに、被害車を追突させたものである。

2  責任原因

(一) 被告原

被告原は、加害車を運転して本件事故現場手前で車線変更をするに際し、左後方に気をとられ、前方注視義務を怠つた過失により本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条により、本件事故に因る損害を賠償する責任がある。

(二) 被告ケイヒン配送株式会社

被告ケイヒン配送株式会社(以下「被告会社」という。)は、本件事故当時加害車を所有してこれを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償補償法(以下「自賠法」という。)三条により、本件事故に因る損害を賠償する責任がある。

3  亡幸太郎の受傷、死亡と本件事故との因果関係

(一) 亡幸太郎の受傷及び死亡

亡幸太郎は、本件事故により、全治三週間の頸椎椎間板損傷等の傷害(以下「本件受傷」という。)を受け、本件事故当日の昭和六〇年六月一〇日から同月二〇日までの間、一六日を除く毎日、田那村整形外科に通院し右受傷の治療を受けていたが、翌二一日午前八時一〇分頃急性心停止により死亡した。

(二) 因果関係

(1) 右急性心停止の原因は、以下に述べるとおり、亡幸太郎の心臓に生じていた軽度の鬱血性心不全が、急性増悪したことに因るものである。

(2) 鬱血性心不全(軽度)が生じた原因

〈1〉 亡幸太郎は、本件事故前、喫煙もせず飲酒量もごくわずかで、他の既往症はもちろん特筆すべき心臓疾患等もない全くの健康体であつた。

〈2〉 しかしながら、生体は、極度の緊張や興奮あるいは驚愕などの肉体的・精神的ストレスが加わると、血圧の急上昇・動脈硬化の促進等を生ずるもので、これらは心不全の原因となりうるものである。

〈3〉 本件事故の結果、被害車は、荷台が食い込んだのでキヤビン自体を、また支持するアームが曲がつたのでパワーゲート(重量物を荷台に積み込む装置)の全部を、それぞれ交換しなければならないなど「新車の購入に匹敵する大修理」を要し、事故後、自走不能のためレツカー移動されたことからも明らかなとおり、本件事故の追突による衝撃は、非常に甚大なものであつた。

〈4〉 亡幸太郎の軽度の鬱血性心不全は、死亡の約一~二週間前に生じたもので、同時期に、亡幸太郎の肉体的・精神的ストレスの原因となるものは、本件事故以外には存在しない。

〈5〉 亡幸太郎は、本件事故からわずか一一日で突然死亡している。

〈6〉 以上の事実からすれば、亡幸太郎の軽度の鬱血性心不全は、本件事故以前から生じていたものではなく、同人が、本件事故に因り極めて大きな肉体的・精神的ストレスを受けた結果生じたものと考えられる。

(3) 軽度の鬱血性心不全が急性心停止に至つた原因

亡幸太郎は、右のとおり、本件事故自体からもある程度、肉体的・精神的ストレスを受けたうえ、本件受傷からくる疼痛や体調不良、頸椎のギプス固定等の治療と通院に伴う肉体的・精神的疲労、休職せざるをえないことに対する不安等のさらなるストレスを、本件事故当日の昭和六〇年六月一〇日から同月二〇日までの一一日間、毎日受け続け、これらの肉体的・精神的ストレスの重積が誘因となり、右事故直後には軽度に過ぎなかつた鬱血性心不全が急性増悪した結果、急性心停止に至つたものである。

(4) したがつて、亡幸太郎の急性心停止による死亡は、その原因となつた鬱血性心不全(軽度)の発症はもちろん、右心不全が急性増悪し心停止に至つた点のいずれにおいても本件事故との因果関係が認められるものである。

(三) 因果関係の割合的認定

仮に、亡幸太郎に鬱血性心不全を誘発しやすい素因が有り、その素因が同人の死に何らかの形で作用したとしても、被害者側の素因等が結果に一定の影響を与えたというだけで、因果関係の全てを否定して加害者を一切免責するというのは、損害の公平な分担という損害賠償制度の趣旨に反し、むしろ、右素因を考慮して因果関係を割合的に認定することこそが右公平の趣旨に沿うというべきところ、本件事故による衝撃・受傷なくして同人の死という結果は到底生じえない以上、本件事故は同人の死亡原因の少なくとも七~八割を占めているものである。

4  損害

(一) 亡幸太郎の損害

(1) 逸失利益 五九九四万一八〇五円

亡幸太郎は、本件事故当時、三七歳(昭和二三年六月六日生)の健康な男子であつて、株式会社関電工内線第二課に勤務する技能職員として、年収四七四万九六三四円を得ていた。

そこで、生活費控除三〇パーセント、就労可能年数六七歳までの三〇年間、新ホフマン方式で法定利率による中間利息を控除して、逸失利益を算定すると五九九四万一八〇五円となる。

(計算式) 4,749,634×(1-0.3)×18.029=59,941,805

(2) 慰謝料 一〇〇〇万円

亡幸太郎は、本件事故で妻と幼い子供二人を残して死亡するに至つたものであり、その慰謝料は少なくとも一〇〇〇万円を下らない。

(3) 相続

原告星野静江(以下「原告静江」という。)は亡幸太郎の妻であり、原告星野梢(以下「原告梢」という。)及び同星野英則(以下「原告英則」という。)はいずれも亡幸太郎の子であるから、右(1)及び(2)の損害については、相続により、原告静江が二分の一、原告梢及び同英則が各四分の一の割合でその賠償請求権を承継した。

(二) 原告らの損害

(1) 慰謝料 二〇〇〇万円

原告らが、夫であり親である亡幸太郎を本件事故によつて失つた失望と悲嘆は計り知れず、その精神的苦痛に対する慰謝料は原告静江につき一〇〇〇万円、同梢及び同英則につき各五〇〇万円が相当である。

(2) 葬儀費用 一〇〇万円

右費用については原告静江が既に負担している。

(3) 弁護士費用 五〇〇万円

原告らは、本訴の提起、遂行を原告ら訴訟代理人に委任し、その費用及び報酬として五〇〇万円を各相続分に応じて支払うことを約した。

5  よつて、被告らに対し、原告静江は、前述の損害額合計四八四七万〇九〇二円及び内四五九七万〇九〇二円に対する昭和六〇年六月二二日から支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告梢、同英則は、それぞれ前述の損害額合計二一二三万五四五一円及び内一九九八万五四五一円に対する昭和六〇年六月二二日から各支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否(被告ら)と被告らの主張

1  請求原因1(一)ないし(四)の事実は認める。同(五)のうち、加害車の時速が四五キロメートルであつたことは否認するが、その余の事実は認める。

2  同2(一)及び(二)の事実は認める。

ただし、亡幸太郎の死亡は本件事故に因る損害には該らないので、被告原はもちろん被告会社も右死亡による損害については賠償責任を負うものではない。

3(一)  同3(一)及び(二)(1)の事実は認める。

(二)(1)  同3(二)(2)〈1〉ないし〈6〉の事実は、5のうち事故後一一日で死亡した事実は認め、その余の事実は全て否認する。

亡幸太郎の勤務先における定期健康診断(年一度)の各結果には、体重や血圧に要注意等の記載が散見されるうえ、死亡翌日の千葉大学における同人の司法解剖(以下「本件解剖」という。)の所見によれば、同人には、心臓の後面冠動脈に動脈瘤と思われるものがみられ、心臓は全体に脂肪沈着が強く、繊維化もあり、年齢の割には動脈硬化が進んでいる等、全くの健康体とはおよそいえない状態であつた。また、被害車のフロントガラスは割れず、同人は本件事故直後に自ら事故状況の確認をしていたこと、本件受傷自体も外傷を伴わない全治三週間程度のものにすぎなかつたこと等からすれば、本件事故の衝撃は亡幸太郎に欝血性心不全を発症させる程強いものではなく、むしろ、右鬱血性心不全は、同人が有していた心臓の繊維化等の右各素因に基づき、本件事故の二~三年前に既に生じていたものと考えるのが自然である。

(2) 同3(二)(3)及び(4)の事実は否認する。

亡幸太郎の本件受傷は、全治三週間程度で入院の必要もなく、治療経過も良好だつたうえ、同人に失職の虞れはなかつたのであるから、肉体的・精神的ストレスもおよそなかつたものといえ、仮に、何らかのストレスが生じたとしても、ストレスというものの客観的測定方法や死亡等との医学的因果関係の有無も未だ解明されておらず、法的にも死亡との相当因果関係を認めうるものとまではいえない。同人の軽度の鬱血性心不全が急性に増悪し心停止にまで至つたのは、専ら、用便中のいきみによつて血圧が急上昇したことに因るもので、前述したところと併せれば、右心不全の発症・増悪のいずれもが本件事故に因るものではなく、同人が、本件事故後一一日も経つて死亡したことからしても、その死亡は本件事故との因果関係を欠くといわざるをえない。実際、本件解剖の結果、同人の死因は急性心不全で、本件事故との因果関係はないことが明らかとなつている。

(三)  同3(三)の事実は否認する。

因果関係の存否についても、心証度八〇パーセント以上ならば請求の全部認容、五〇パーセント未満ならば全部棄却としなければ、民事裁判における事実認定の手法との整合性を欠き妥当ではない。すなわち、その割合的認定といつても心証度五〇パーセント以上八〇パーセント未満の範囲内で適用可能な手法にすぎず、本件は、右割合的認定の手法を適用すべき事案ではない。

なお、事故も含め複数の原因が競合して損害が生じた場合に、事故の損害への寄与率を認定してその限度での賠償責任を認める手法もあるが、これは、各原因それぞれが損害との間に相当因果関係を有するも、いずれが主因かが不明な場合に寄与率に応じた認定をするもので、本件では事故と亡幸太郎の死亡との間に、そもそも相当因果関係がない以上、右寄与率の手法によるのも適当ではない。

4(一)(1) 同4(一)(1)及び(2)の事実は否認する。

ライプニツツ方式によれば、逸失利益は五一一〇万七九六一円である。

(2) 同4(一)(3)のうち、原告静江が亡幸太郎の妻、原告梢及び同英則が同人の子であり、原告らがいずれも同人の相続人であることは認めその余の事実は否認する。

(二)  同4(二)(1)ないし(3)の事実は全て否認する。

原告らの慰謝料請求総額は亡幸太郎固有のものも含めて三〇〇〇万円であるが、通常の基準では、同人及び原告らのものも含め二四〇〇万円である(民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準・赤い本、一九九三年版)。

5  同5の主張は争う。

三  被告らの主張に対する原告らの反論

1  本件事故による衝撃の程度

本件受傷の全治三週間という程度、良好な治療経過等は、あくまでも頸椎についてのみの整形外科的観点からの症状把握にすぎず、本件事故に因る内臓、特に心臓への肉体的及び精神的ストレスは全く顧慮されていないものであるから、本件受傷の程度等のみから本件事故の衝撃の大きさ・質を判断すべきではない。

2  相当因果関係

(一) 損害の公平な分担という損害賠償制度の趣旨からは、相当因果関係の法的立証の程度も、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らし、特定の事実が特定の結果を招いたと認めうる高度の蓋然性を証明すれば足りるものである。

本件解剖の結果は、刑事責任の判断に必要な限度での解剖学的知見を収集したところ、「疑わしきは罰せず。」の原則に従えば、亡幸太郎の死と本件事故との間には、被告原の刑事責任を問いうるほどの因果関係がないというものにすぎず、精神的ストレス等を斟酌したものではないことからも、右解剖によつて民事責任上の相当因果関係まで直ちに否定されるものではない。また、右解剖時の所見では、亡幸太郎の心筋の繊維化や脂肪浸潤等はいずれも「軽度」だつたのであるから、他の要因なくして死に至る程のものではなかつたと考えられ、まさに右「他の要因」が本件事故であるから、本件事故と亡幸太郎の死亡との間には、前者が後者を招いた高度の蓋然性が認められるものである。

(二) 仮に、寄与率による因果関係の認定をするとしても、結果と各原因との間のそれぞれに相当因果関係が有ることを前提とする必要はなく、各原因の競合により結果との間に相当因果関係が認められれば足りるものである。

四  被告らの再反論

原告らは、因果関係の立証の程度につき「高度の蓋然性」の立証をもつて足りるとするが、公害・医療事故のように損害発生の経路が複雑で、高度の科学的知識なくしては因果関係の証明ができない場合に、いわゆる蓋然性説や証拠距離説が問題となるのとは異なり、本件においては、「高度の」蓋然性が求められているものである。

本件解剖の「病死による急性心不全であつて、交通事故との因果関係はない。」との結論は、本件解剖から得た多種の事実を探求、精査した専門的・法医学的見地からの判断であつて、その過程で刑事・民事いずれの裁判かを考慮したものではない。したがつて、右解剖結果からすれば、本件事故と亡幸太郎の死亡という結果との間には右「高度の」蓋然性はないと判断せざるをえない。

第三証拠

証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  本件事故の発生

請求原因1(一)ないし(五)の事実(本件事故の発生及び態様。ただし、同(五)の事実のうち加害車の時速が四五キロメートルであつたとの点は除く)は、当事者間に争いはない。

二  責任原因

請求原因2(一)及び(二)の事実は、当事者間に争いがないから、被告原は民法七〇九条により、被告会社は自賠法三条により、本件事故に因つて亡幸太郎及び原告らに生じた損害をそれぞれ賠償する責任がある。

三  亡幸太郎の受傷、死亡と本件事故との因果関係

請求原因3(三)(亡幸太郎の本件受傷は本件事故に因ること、同人が急性心停止により死亡したこと)及び同(二)(1)(急性心停止が軽度の鬱血性心不全の急性増悪によること)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

そこで、亡幸太郎の死亡が本件事故に因つて生じたものであるか、その因果関係の有無について判断する。

1  本件事故の程度

いずれも成立に争いのない甲第三ないし第五、第一六号証、乙第二、第八号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる甲第一三号証、第一四号証の一ないし九及び証人小島政次、同森田和彦の各証言、被告原本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、被告原は、加害車を運転して時速約四〇ないし四五キロメートルで被害車と同一方向に進行中、本件事故現場手前で片側二車線の右側から左側に車線を変更しようとするに際して、同左側車線上の後続車両の有無の確認に気をとられ、前方注視を怠つた結果、進路前方に停車中の被害車をその後方約二二メートルに至つて初めて発見し、急制動したが間に合わず、車体重量一〇トン程度、最大積載量一〇・七五トン(本件事故時積載品なし)の大型貨物自動車である加害車を、最大積載量二トン(本件事故時の積載量〇・五トン)の小型貨物自動車である被害車に追突させたこと、以上によれば、本件事故は、被告原の一方的過失によるもので、亡幸太郎に落ち度はないこと、右追突の衝撃により被害車がその前に停車中の四トントラツクにさらに追突したため、被害車は、一〇トン程度の加害車と右四トントラツクの間に挟まれた形になつたこと、衝突後、亡幸太郎は顔色も青白く、頸部の痛みを訴え、本件事故現場脇の店先で座り込んだりしていたこと、本件事故の結果、被害車は荷台が食い込んだためキヤビン全体を、また支持する鉄製アームが曲がり修理不能となつたので同車最後部のパワーゲート(〇・五~〇・八トンの重量物を荷台に積み込む装置)の全部をそれぞれ交換するなど、数十項目にわたる修理(総額一〇六万七一八〇円)を要したことが認められる。

右認定の事実によれば、加害車が被害車に衝突したことによつて、相当程度の衝撃が生じたものと推認される。

2  事故処理の経過

前記認定のとおり、本件事故直後の亡幸太郎は頸部の痛みを訴えて顔色も青白く、本件事故現場脇で座り込んだりする状態であつたが、前記甲第三及び第五号証、証人森田和彦の証言、被告原本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、亡幸太郎は衝突直後被告原とともに被害車の破損部位等を確認し、勤務先に本件事故の連絡のために電話をかけ、警察官の実施した実況見分にも立ち会う等、右のような体調のなかで本件事故直後からその処理に追われ、その後も、休職中であつた昭和六〇年六月一四日に、田那村整形外科へ通院するかたわら千葉南警察署に出頭し、取調べを受けるなどしていたことが認められる。

3  亡幸太郎の本件受傷の治療経過

(一)  亡幸太郎が、本件事故当日の昭和六〇年六月一〇日から同月二〇日までの間、本件受傷のため休職し、同月一六日を除く毎日、田那村整形外科に通院し右受傷の治療を受けたことは当事者間に争いがない。

(二)  さらに、いずれも成立に争いのない甲第一二号証、乙第五号証の三、第六号証の二及び三、証人森田和彦の証言及び原告静江本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、亡幸太郎は、本件事故当日である六月一〇日の午後、事故直後から頸部痛・頭(後頭部)痛を覚えたとして田那村整形外科を受診したところ、田那村医師は、診察の結果、亡幸太郎の頸部には運動制限こそないが、頸椎レントゲン撮影(側面後屈動能像)所見によれば、第二、第三及び第三、第四各頸椎間の不安定椎が認められたうえ、頸部運動時痛、頸部・肩部筋圧痛、左尺骨及び正中神経領域の知覚鈍麻が認められたことなどから、全治三週間の頸椎椎間板損傷の診断をし、亡幸太郎の頸部の安静固定等の保存的治療を施したこと、亡幸太郎は翌一一日から治療のため同整形外科に通院し始めたが、一一日には左頸部痛に加え頸部・肩部筋圧痛の増強がみられ、頸部運動制限も発現するなど症状が亢進し、同月一四日に右運動制限の軽減がみられた以外は、同様の症状が同月一五日頃まで続いたこと、同人の頸部痛は、同月一七、八日頃までには徐々に改善していつたが、死亡する前日の同月二〇日に至つても、消失したのは知覚鈍麻のみであつて、頸部運動時痛、頸部・肩部筋圧痛、頸部運動制限(軽減傾向)等の症状が依然続いていたこと、亡幸太郎は、右のような症状を有しながらほぼ毎日、千葉県木更津市高柳の自宅から千葉市中央区にある田那村整形外科まで、電車で通院していたこと、以上の事実が認められる。

4  亡幸太郎の死亡時の状況

亡幸太郎が、事故から一一日経つた昭和六〇年六月二一日、午前八時頃、自宅トイレ内で用便中に倒れ、同日午前八時一〇分頃、急性心停止により死亡したことは当事者間に争いがない。

5  亡幸太郎の体質的素因及び既往症

いずれも成立に争いのない甲第一〇号証、第一一号証の一ないし三、乙第一号証、証人木内政寛の証言、弁論の全趣旨によれば、亡幸太郎は、昭和二三年六月六日生まれで、本件事故当時三七歳であつたが、身長約一七〇センチメートルに対し本件事故当時の体重は約八〇キログラムと肥満体で、勤務先の定期健康診断の結果を記す健康管理カードにも、昭和五七・五八・六〇年の各所見欄に、体重要観察・体重注意等の記載がされ、血圧についても、右カードの同五七・五八年の各所見欄に境界域高血圧要指導の記載があり、同五七年から六〇年にかけての血圧の推移は順次、水銀柱九〇~一四〇ミリメートル、七四~一四〇ミリメートル、七二~一二六ミリメートル、七八~一三二ミリメートルであつたこと、本件解剖結果によると、同人の心臓は全体に脂肪沈着が強く、心肥大の症状もあり(解剖時の同人の心臓約四〇五グラム、青年男子の心臓平均重量約三〇〇グラム)、心筋については軽度の繊維化(心筋梗塞にまでは至らないが心臓の筋肉が死失して繊維化している状態)と、これも軽度とはいえ脂肪浸潤(心臓の筋肉には通常ほとんどみられない脂肪が入り込んでいる状態)がみられたほか、腹部大動脈は硬変が高度で潰瘍が形成されており、年齢の割には動脈硬化が進んでいたこと、右の心筋の繊維化及び脂肪浸潤の形成には少なくとも一ないし二か月の期間を要し、その形成原因としては、高血圧や肥満が考えられるが、右各原因と心肥大及び動脈硬化とは相互に作用しあう関係にあり、肥満、高血圧、心肥大、心筋の繊維化及び脂肪浸潤、動脈硬化等の右各素因は、いずれも鬱血性心不全の発症原因となりうるものであること、亡幸太郎には生前、前記各症状の継続により軽度の鬱血性心不全(心臓の機能が落ちて各臓器に血液が溜まつている状態)が生じていたものであつて、その発症は本件解剖時(昭和六〇年六月二二日)の少なくとも一ないし二週間以上前であること、以上の事実が認められる。

以上認定の事実からすれば、亡幸太郎の心臓は本件事故(同年六月一〇日)以前から既に軽度の鬱血性心不全の症状を呈していたことが強く推認されるものである。

原告らは、右発症時期について、本件事故後であると主張するが、亡幸太郎の場合、鬱血性心不全の発症原因のうち、肥満については本件事故の約四年前から続いていたこと、高血圧についても、改善傾向にあつたとはいえ、やはり本件事故の約四年前から認められていたこと、心肥大、心筋の繊維化及び脂肪沈着、動脈硬化等にあつても、少なくみても本件事故の一ないし二か月前から継続していたと推認されること等からすれば、本件事故当時、既に、亡幸太郎には軽度の鬱血性心不全が発症していたと認めるのが相当であつて、他に、右認定を覆すに足りる証拠はない。

6  鬱血性心不全と心停止との関係

前記甲第一〇号証、乙第一号証、証人木内政寛の証言、弁論の全趣旨によれば、軽度の鬱血性心不全では、運動をするなど強く体を動かしたりすれば何らかの症状が出る可能性はあるが、正常の日常動作ではそれほどの苦痛はみられず、直ちに心停止に至る程のものではないところ、亡幸太郎に本件事故当時発症していた鬱血性心不全も同程度のものであつたこと、この様な軽度の鬱血性心不全が心停止に至るには、そのさらなる増悪を要し、この増悪因子としては、高血圧、動脈硬化等のほか、肉体的・精神的ストレス等も含まれうる、すなわち、極度の緊張や興奮あるいは驚愕等の肉体的・精神的ストレスが生体に加わると、個人差があるとはいえ、血管の収縮・血圧の急上昇・動脈硬化の促進等が生じて、既に軽度の鬱血性心不全の状態にある心臓にさらに負担がかかり、右鬱血性心不全の増悪という結果を招くものであること、本件事故の追突による衝撃のように、生体に加えられた肉体的外力も、肉体的ストレスを招くことはもちろん、精神的ストレスの原因ともなりうるものなので、やはり右増悪因子に含まれるといえること、以上の事実が認められる。

7  因果関係の判断

右認定の1ないし6の事実に証人森田和彦、同木内政寛の各証言及び原告静江本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すれば、亡幸太郎は、本件事故後一一日で死亡しているものであるところ、同人は、本件事故以前から、肥満、高血圧、動脈硬化、心肥大、心筋の繊維化及び脂肪沈着等、鬱血性心不全を発症しやすい体質的素因を有し、実際同人に、軽度の鬱血性心不全が既に発症していた段階で本件事故に遭つたものであるが、本件事故の衝撃の程度や、本件事故の発生自体は被告原の一方的過失によるものであることなどに照らせば、亡幸太郎には、本件事故自体により、本件受傷のみならず、少なからぬ肉体的・精神的ストレスが生じたであろうと推認されるうえに、亡幸太郎は、本件受傷を負いながらも、事故直後から、被害車の破損部位の確認、勤務先への連絡、実況見分への立会い等、事故処理に追われることを余儀なくされたのであるから、同人に、さらに、相当程度の肉体的・精神的ストレスが生じたであろうことも推認するに難くないこと、また、その後も亡幸太郎は、頸部の運動制限・疼痛等を有しながら、死亡するまでのほぼ毎日、電車で田那村整形外科に通院し、治療を受け、うち一日は右通院のかたわら千葉南警察署にも出頭し取調べを受ける等、通院・治療に伴つての肉体的・精神的ストレスも相当程度あつたと推認できること、このほか、休職による職場復帰への不安、焦り等からくる精神的ストレスも加わる等、亡幸太郎は、本件事故から死亡当日までの毎日、各ストレス毎にみればそう強度のものでないとはいえ、様々な肉体的・精神的ストレスを受け続けていたのであるから、死亡当日の同人には、相当程度の肉体的・精神的ストレスが重積していたものと推認されること、他方、このようにストレスが積み重なつていくにつれて、同人に生じていた軽度の鬱血性心不全も徐々に増悪していつたものと推認され、そのようななかで、死亡当日、同人が、用便時にいきんだ際に血圧が急に上昇したため、右鬱血性心不全が急速に増悪し、急性心停止に至つた可能性が高いものと推認されること、以上の事実が認められる。

以上によれば、亡幸太郎は、既往症であつた軽度の鬱血性心不全及び前述した同人の体質的各素因と、本件事故に因る肉体的・精神的ストレスの重積ならびにいきみによる血圧の急上昇が並存競合することに因つて、右鬱血性心不全が急性(ママ)に増悪し死亡したものと推認するのが相当であつて、本件事故後わずか一一日で同人が死亡していることからしても、亡幸太郎の死亡と本件事故との間には相当因果関係があるというべきである。

なお、本件解剖結果を記載した甲第一〇号証には、「病死による心不全であつて、交通事故との因果関係はない。」との記載があるが、同解剖を担当した証人木内政寛の証言によれば、右結論はあくまでも解剖学的所見のみからの判断であつて、肉体的・精神的ストレスが生じていたか、生じていたとして、鬱血性心不全の急性増悪の原因となつたか否かは解剖学的所見により判断しうるものではないというのであるから、甲第一〇号証の右記載は、因果関係についての右認定を左右するほどのものとは認め難く、その他前記認定を覆すに足りる証拠はない。

四  損害

1  亡幸太郎の損害

(一)  逸失利益 五一一〇万九二九一円

亡幸太郎は、昭和二三年六月六日生まれ、本件事故当時三七歳の男子であつて、成立に争いのない甲第一五号証によれば、年収四七四万九六三四円を得ていたことが認められる。

そこで、生活費控除三〇パーセント、就労可能年数六七歳までの三〇年間、ライプニツツ方式で法定利率による中間利息を控除して、逸失利益を算定すると五一一〇万九二九一円となる(一円未満切り捨て、以下同じ)。

(計算式) 4,749,634×(1-0.3)×15.3724=51,109,291

(二)  慰謝料 一〇〇〇万円

亡幸太郎の死亡時の年齢、家族の状況、本件事故の態様、死亡に至る経緯その他諸般の事情を考慮すれば、同人が本件事故に因り被つた精神的損害に対する慰謝料の額は一〇〇〇万円が相当である。

2  相続

以上によれば、亡幸太郎の損害は、合計六一一〇万九二九一円になるところ、原告静江が亡幸太郎の妻、同梢及び同英則がいずれも同人の子であることは当事者間に争いがないので、相続により、原告静江は右幸太郎の損害賠償請求権のうち二分の一の三〇五五万四六四五円、原告梢及び同英則は各四分の一の一五二七万七三二二円をそれぞれ承継取得したものである。

3  原告らの損害

(一)  慰謝料 原告静江につき五〇〇万円同梢及び同英則につき各二五〇万円

前示の亡幸太郎と原告らの身分関係及び原告静江本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、原告らが、夫であり親である亡幸太郎を本件事故によつて失つた精神的苦痛に対する慰謝料は、原告静江につき五〇〇万円、同梢及び同英則につき各二五〇万円が相当である。

(二)  葬儀費用 八〇万円

弁論の全趣旨により、葬儀費用は八〇万円が相当であり、原告静江が既に負担したものと認められる。

4  以上によれば、相続分をも含めた原告らの損害は、原告静江につき、合計三六三五万四六四五円、同梢及び同英則につき、それぞれ合計一七七七万七三二二円と認められる。

5  亡幸太郎の既往症及び体質的素因の寄与による減額

亡幸太郎の欝血性心不全が、急性に増悪して心停止にまで至つたのは、前記認定のとおり、本件事故当時亡幸太郎が既に軽度の欝血性心不全を発症していて、この既往症と、併せて同人が有していた心肥大、心筋の繊維化、動脈硬化等の各体質的素因が相互に作用し、右心不全の増悪を生じやすい状態にあつたことにも一因が有り、また、右急性増悪の直接の誘因は用便中のいきみによる血圧の急上昇であることは前示のとおりであるから、このような場合においては、損害の公平な分担という損害賠償法の理念に照らし、その全損害を被告らに負担させるのは相当ではなく、民法七二二条二項の過失相殺の法理を類推適用して、被告らの負担すべき損害賠償額を定めるのが相当であると解されるところ、前記認定の亡幸太郎の体質的素因等と、本件事故の程度、本件受傷の治療経過、及び本件事故以降、同人が受けたと推認されるストレスの程度等の諸事情を、右類推適用に際して損害減額事由として総合考慮すれば、全損害額からその八〇パーセントを減額するのが相当であるから、右減額後における原告静江の損害額は七二七万〇九二九円、同梢及び同英則の損害額は、それぞれ三五五万五四六四円と認められる。

6  弁護士費用 一五〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告らは、被告らから損害額の任意の弁済を得られないため、弁護士である原告ら訴訟代理人に、本訴の提起と追行を委任し、その費用及び報酬を各相続分に従い支払う旨約したことが認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故に因る損害として原告らが被告らに対し求めうる弁護士費用の額は、一五〇万円(原告静江七五万円、同梢及び同英則各三七万五〇〇〇円)が相当である。

六  結論

よつて、原告らの本訴請求は、被告ら各自に対し、原告静江が八〇二万〇九二九円及び内七二七万〇九二九円に対する昭和六〇年六月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告梢及び同英則が、それぞれ三九三万〇四六四円及び内三五五万五四六四円に対する昭和六〇年六月二二日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める限度において理由があるから、いずれもこれを認容し、その余の請求は理由がないのでいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 清水信雄 大久保正道 髙宮園美)

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